それにしても、みんな本当にえらいよね。
急にどうしたの。
この生きにくい日本を生きて過ごしているだけで表彰もんじゃん。
日本ってなんでこんなに生きにくいのさ。
まあ他の国を知らないんだけど。
何だか視野の狭い意見だなあ…。
ああ、そう言えばいじめの経験あるんだっけ。
なんていうか、「世間に求められている性格や行動が出来ない子供は、存在を認められていない感じ」がするのよね。
国が違えばいじめの形も違うのかなぁ‥。
私は「普通」を知りません。
クラスの中ではどこか浮いた存在で、いじめの標的にされていました。
高校進学してからはいじめから脱却することができたのですが、人生に対する考え方はすっかりヒネてしまいました。
私の被害者意識は、この時点で植えつけられたものなのかもしれません。
小さいころから社会性に乏しい性格で、周囲と馴染むことが難しかったのがいじめの原因でもあるのですが、当時は精神を保って生き延びるのが精いっぱいでしたね。
でも、人生の課題を逃れることが出来るわけではなく、その問題(社会性の乏しさ)はいつでも私に付いて回ってきました。
私は、結局どう生きるのが正解だったのか…?
半分異常で半分優良だった私の家庭
私がいじめの環境から死を選ばずに生き延びることが出来たのは、母のお陰としか言いようがありません。
父親はいわゆるモラハラというやつで、子供には無関心、母(妻)に対しては(精神的に)踏みつけて追いつめるような奴で、私(子供視点)から見れば空気のようでした。
母親は、夫と姑から追いつめられる立場でありながらも、私や兄に平等に愛情を注いで育ててくれました。
父からは不気味なくらいに何の感情も受け取らずに育ちましたが、母からは数えきれないくらいにたくさんの愛情を受け取って育ってきたという自負があります。
今にして思えば、父は自己愛性人格障害だったのかもしれません。
「こいつには人の感情が無いのか?」というくらい、何十年の付き合いでも、彼の感情というものが全く理解できませんでした。
とりあえず、自分一人の都合のことしか考えていないことだけは良く伝わってきました。
まあ、それはどうでもよくて。
ともかく、母親の愛情のお陰で「もうこんな人生イヤだな…」と思った時にも踏ん張って生き抜くことができました。
「私が死んだら母が悲しむ」とはっきりわかっていましたので。
あまり、親から「世間の常識」「他人への挨拶」のようなものを教えてもらった記憶はないのですが、母も教育への余裕が無かった様子なので、仕方がなかったんだろうな…と思っています。
普通ってなんですか?
私は「普通」になりたかった。ヘンに注目されるのが嫌だった。
でもなぜか、みんな私に注目してくるんですよね。
褒めてるつもりで、仲良くしようと思って声をかけてくる人もいる。
興味・好奇心ではやし立ててくる奴もいる。
変に特別視しないで、普通に接してほしかった。
…でも今にして思えば、普通にふるまうことのできなかった私だから、そのように扱われてしまったのかな、と思ったりもします。
いずれにしても、当時の私にはどうすることもできませんでした。
「普通」になれない私は、ただ疎外感を感じて生きていました。
まずは生き延びよう。全てはそれからだ
こち亀で好きなシーンがあります。
ツイッター(X)上でもよく画像が出回っていましたね。
ここでは著作権上、画像を持ってくることはしませんが、確かこんなものだったと思います。
「悩むとすぐに『生きるべきか』『死ぬべきか』にするな」
「悩んだらまずは『生きる』モード”に切り替えてからスタートだ」
「それから“どう生きるか”を探せばいい」
私の中では、この言葉が一番しっくりきました。
実際、しぶとくマイペースに生き抜くことで、人生がイヤなことだけではなくて楽しいことや良いこともいっぱいあることを知ることが出来ました。
イヤな人はいっぱいいるけど、親切にしてくれる人がそれだけ貴重で希少なのだと知ることが出来ました。
過去の経験により「私は傷つけられた!!」という被害者意識はずっと持ち続けてしまっているけど、今なら「成長のためにはみんな傷ついているんだ」ということも理解できます。
死んだらすべての可能性がそこでゼロになってしまいます。
人生の課題は後から付いて回る
もちろん、私の人生の課題が無くなったわけではありません。
いじめから培われた「被害者意識」で、私はすっかり社会から距離を置いた生き方に馴染んでしまっていました。
一応社会に出て、普通に働こうとするんですけど、他の人とはずれた行動になってしまうんですよね。
新人の頃はもっと酷かったですよ。
「(あの頃のように)また私をいびってくるのか!」という感覚で新人教育に反抗してしまうのだから、上手くいくはずがありません。
学生時代に成長できなかった「社会性」を、大人になってからようやく、少しずつ成長させてきているところなのです。
それは今現在も。まだまだ「普通」への擬態は出来ないようです。
うーん、こうしてみると私、結構頑張って生きてきたんですねえ。
今日は自分を褒めて過ごすことにしますw
普通の人が、人生で迎えるであろうあれやこれやのイベントとかには全く縁のない人生でしたが、まあ私にはこれがちょうどいいのかもしれません。
「生きにくさを感じる人へ。まずは生き延びろ。(人生論、いや自分語り)」のまとめ
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
今回の記事のまとめはこちらになります。(今回は話半分で聞いていただければと…)
- 半分異常で半分優良だった私の家庭
→家族の愛情は生きる糧になる - 普通ってなんですか?
→知らん。 - まずは生き延びよう。全てはそれからだ
→両津〇吉のように生きろ(違)
→生きることを最優先。まずはそれだけでいい - 人生の課題は後から付いて回る
→どうせ逃げても人生の課題は消えません
→傷つきたくない、恥をかきたくないって言っても、必ずどこかで傷ついて恥をかきます
→逃げるか立ち向かうかはあなた次第
→それでも生きていればいいんです
今回はすっかり(いつもそうですがいつも以上に)自分語りの回となってしまいました。
乱文大変失礼しました。
↑の方でなんか良いこと言ったみたいにまとめていますが、とにかく「生きていれば全部正解」なんですよ。
問題を抱えて生きていてもいいじゃないですか。
私はまだもうちょっと成長したいので頑張ってみますが、それすらイヤなら、そういう人生も悪くないですよね。生きてさえいれば。
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